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平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶 (2014.12.24)

                展覧会に際して


 私はこのたび還暦にあたり、過去45年間蒐集いたしました美術品の一部を朝日新聞主催のもとに展覧会を催すことになりました。顧みれば、子供の頃から絵が好きで16歳の頃、洋画に傾倒し画家になることを思いたちました。その頃から浮世絵の蒐集もいたしましたが、一時心境の変化から美術と全く異質な飛行機の研究などをした事もありました。しかし、性来美術に対する愛着が強かったため、戦争たけなわな時も、蒐集は一日としてあきらめた日はなかったのであります。
 此の美術に対する愛着から、洋の東西を問わず、古代から現代に至る美術品を蒐集し、その種別は、刀剣、陶器、仏教、仏画、鉄器、銅器、蒔絵、錦絵、唐宋元画、浮世絵、初期洋画、茶物、古筆、東西版画、西洋画、日本画等々を蒐集しました。この強い愛着心は、子供の頃から美術館の建設を専念に念願として参りました。
 今回朝日新聞社により展覧会を開催することが出来、皆様に初めて公開するの光栄を得ましたことを何よりもの慶びとするものであります。
 これを機として益々の皆様のご協力を得、やがては美術館の建設に邁進いたす念願で御座いますから何卒御援助の程伏してお願いいたします。


          昭和30年10月吉日
                          平野政吉

          ( 1955年 主催 朝日新聞社「平野コレクション展目録」 より )


 この挨拶には、平野政吉が、子供の頃から美術館の建設を念願し、美術品の蒐集をしていたことが表明されている。

 この念願が成就されたのが、平野政吉美術館(秋田県立美術館《旧》)であったことは言うまでもない。








 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」

 1967年(昭和42年)5月5日開館した、秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」、平野政吉が収集した藤田嗣治作品を中心に展示、公開されている。
 「秋田の行事」を展示している大展示室の広さは、約550平方メートル、天井高は18メートルあり、藤田の指示により、屋根の丸窓から自然光が採り入れられ、大壁画に柔らかくふり注いでいる。


秋田の行事
(http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/leonardfoujita_tabi/33710.html)



秋田の行事-2
(http://plaza.rakuten.co.jp/EYASUKO/diary/200709040000/)



平野政吉美術館の内部
(http://takaikogyo.exblog.jp/10624777)



平野政吉美術館の内部(天井
(http://archilab-ai.jugem.jp/?cid=14)



平野政吉美術館の内部(天井)-2
(http://weekly-akita.net/?day=20100311)



P1010358 平野美術館(5月)
2012年5月、平野政吉美術館




 秋田県では、この優れた展示室、美術館から、「秋田の行事」、そのほかの藤田嗣治作品を移転しようとしています。
 この美術館は、藤田に美術館の採光形式、「秋田の行事」の展示の仕方の助言を受けています。このような美術館は、日本国内は勿論世界にありません。この展示室、美術館は、後世の美術愛好者、美術を志す若者、藤田嗣治ファンのために残すべきです。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館平野政吉美術館)からの「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を止めるよう、訴えてください。お願い致します。







 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




平野政吉美術館、藤田嗣治収蔵作品リスト

平野政吉美術館 Masakichi Hirano Museum of Fine Art、Akita

      
         ■ 藤田嗣治収蔵作品リスト ■


番号  作品名  作者名 サイズ(cm)材質技法 制作年

00001「秋田の行事」藤田嗣治365.0×2050.0壁画油彩1937年
00002「北平の力士」藤田嗣治180.0×225.0 油彩 1935年
00003「五人女」 藤田嗣治192.5×128.5 油彩 1935年
00004「眠れる女」藤田嗣治74.4×125.0 油彩 1931年
00005「町芸人」 藤田嗣治98.5×79.0 油彩 1932年

00006「室内の女二人」藤田嗣治95.0×77.0 油彩 1932年
00007「カーニバルの後」藤田嗣治98.5×79.0 油彩 1932年
00008「自画像」 藤田嗣治127.7×191.9 油彩 1936年
00009「1900年」 藤田嗣治144.0×110.5 油彩 1937年
00010「踊子」 藤田嗣治79.0×64.0 油彩 1939年

00011「客人(糸満)」藤田嗣治114.5×89.5 油彩 1938年
00012「私の画室」藤田嗣治36.3×44.2 油彩 1938年
00013「チンドンヤ」藤田嗣治165.0×93.0 日本画1934年
00014「力士」 藤田嗣治169.O×82.0 日本画1934年
00015「口笛を吹く少年」藤田嗣治30.0×25.4 淡彩 1935年

00016「Y夫人肖像」藤田嗣治90.0×l08.5素描・淡彩1935年
00017「力士」 藤田嗣治169.0×83.0素描  1934年
00018「江古田の画室」藤田嗣治32.0×47.5木炭・グアッシュ1947年
00019「北京での素描」藤田嗣治35.0×24.3素描・鉛筆1934年
00020「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.3素描・鉛筆1934年

00021「北京での素描」藤田嗣治36.0×26.0素描・鉛筆1934年
00022「北京での素描」藤田嗣治35.3×24.5素描・鉛筆1934年
00023「北京での素描」藤田嗣治35.0×24.2素描・鉛筆1934年
00024「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00025「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年

00026「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00027「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00028「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00029「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00030「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年

00031「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00032「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00033「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00034「北京での素描」藤田嗣治35.0×24.0素描・鉛筆1934年
00035「北京での素描」藤田嗣治35.3×24.7素描・鉛筆1934年

00036「北京での素描」藤田嗣治35.0×24.5素描・鉛筆1934年
00037「北京での素描」藤田嗣治35.2×24.2素描・鉛筆1934年
00038「北京での素描」藤田嗣治36.0×27.0素描・鉛筆1934年
00039「メキシコでの素描」藤田嗣治45.0×35.8素描・鉛筆1932年頃
00040「メキシコでの素描」藤田嗣治38.5×29.0素描・鉛筆1932年頃

00041「メキシコでの素描」藤田嗣治42.7×29.8素描・鉛筆1932年頃
00042「メキシコでの素描」藤田嗣治49.O×37.7素描・鉛筆1932年頃
00043「メキシコでの素描」藤田嗣治42.4×30.0素描・鉛筆1932年頃
00044「群像」  藤田嗣治140.0×91.5素描1932年頃
00045「女」     藤田嗣治130.0×74.0素描

00046「壁画の素描」藤田嗣治35.0×25.4素描・鉛筆1936年頃
00047「壁画の素描」藤田嗣治25.8×35.0素描・鉛筆1936年頃
00048「壁画の素描」藤田嗣治34.6×25.8素描・鉛筆1936年頃
00049「壁画の素描」藤田嗣治25.8×32.7素描・鉛筆1936年頃
00050「壁画の素描」藤田嗣治26.5×22.9素描・鉛筆1936年頃

00051「壁画の素描」藤田嗣治34.7×25.7素描・鉛筆1936年頃
00052「壁画の素描」藤田嗣治25.9×34.8素描・鉛筆1936年頃
00053「壁画の素描」藤田嗣治25.7×35.2素描・鉛筆1936年頃
00054「壁画の素描」藤田嗣治33.4×26.0素描・鉛筆1936年頃
00055「壁画の素描」藤田嗣治32.4×26.4素描・鉛筆1936年頃

00056「壁画の素描」藤田嗣治25.8×34.7素描・鉛筆1936年頃
00057「壁画の素描」藤田嗣治34.6×25.7素描・鉛筆1936年頃
00058「壁画の素描」藤田嗣治26.0×汰O素描・鉛筆1936年頃
00059「壁画の素描」藤田嗣治20.9×16.0素描・鉛筆1936年頃
00060「壁画の素描」藤田嗣治26.0×20.0素描・鉛筆1936年頃

00061「魅せられたる河」ボーボー広場  藤田嗣治23.5×29.0銅版・彩色1951年
00062「魅せられたる河」町娘     藤田嗣治32.0×23.3銅版・彩色1951年
00063「魅せられたる河」ヴァンドーム広場藤田嗣治29.0×23.3銅版・彩色1951年
00064「魅せられたる河」バレーロワイヤル藤田嗣治32.5×23.2銅版・彩色1951年
00065「魅せられたる河」テルヌ広場  藤田嗣治31.4×23.2銅版・彩色1951年

00066「魅せられたる河」サン・フィリップ教会藤田嗣治32.0×23.5銅版・彩色1951年
00067「魅せられたる河」中央市場  藤田嗣治29.5×23.4銅版・彩色1951年
00068「魅せられたる河」オペラ座の夢 藤田嗣治23.5×29.0銅版・彩色1951年
00069「魅せられたる河」シャンゼリゼ 藤田嗣治23.5×32.0銅版・彩色1951年
00070「魅せられたる河」場末の街  藤田嗣治32.5×23.1銅版・彩色1951年

00071「魅せられたる河」香りの夢   藤田嗣治27.0×36.0銅版・彩色1951年
00072「魅せられたる河」エリゼ宮   藤田嗣治27.0×36.0銅版・彩色1951年
00073「魅せられたる河」シャルパンティエの売り立て藤田嗣治36.0×27.0銅版・彩色1951年
00074「魅せられたる河」カフェフーケ 藤田嗣治36.0×27.0銅版   1951年
00075「魅せられたる河」自画像   藤田嗣治36.0×27.0銅版   1951年

00076「パンを持つ少女」   藤田嗣治52.5×37.2リトグラフ1956年
00077「マドレーヌ像」   藤田嗣治羽子板型41.0×30.0絹本・着色1933年
00078「マドレーヌ」    藤田嗣治86.5×56.3素描   1934年
00079「台所」      藤田嗣治36.3×44.0油彩   1940年
00080「パリ裏町風景」   藤田嗣治32.0×47.5リトグラフ1964年

00081「四十雀」ワイン    藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00082「料理人」     藤田嗣治19.4×19.3リトグラフ1963年
00083「四十雀」うわさ話   藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00084「四十雀」タバコ    藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00085「四十雀」お金     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年

00086「パンを持つ少女」   藤田嗣治19.5×20.0リトグラフ1963年
00087「四十雀」パリの城壁  藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00088「四十雀」香水     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00089「四十雀」オートクチュール藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00090「小さな職人と商人」印刷工藤田嗣治19.0×19.0木版  1960年

00091「編み物」      藤田嗣治19.0×19.4リトグラフ1963年
00092「小さな職人と商人」焼栗売藤田嗣治19.0×18.6木版  1960年
00093「小さな職人と商人」ガラス売り藤田嗣治19.0×19.0木版 1960年
00094「四十雀」大聖堂    藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00095「小さな職人と商人」自画像藤田嗣治26.8×22.0木版  1960年

00096「四十雀」下着     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00097「四十雀」グルメ    藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00098「四十雀」発明     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00099「四十雀」切手     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年
00100「四十雀」絵画     藤田嗣治19.0×19.0リトグラフ1963年

00101「自画像」      藤田嗣治30.0×24.0リトグラフ1926年頃
00102「我が画室」     藤田嗣治30.0×39.4油彩   1936年








 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




秋田県立美術館・平野政吉美術館開館のいきさつ

       ■■ 「秋田県立美術館・平野政吉美術館開館のいきさつ」 ■■

                                             2008.2.14
                              

財団法人平野政吉美術館のある秋田県立美術館は、藤田嗣治の壁画をはじめ平野政吉が収集した美術品を展示するために、昭和42年に建設され、公開されました。

藤田の壁画が描かれた翌年、昭和13年、平野は秋田市八橋に個人で美術館を着工しましたが、戦争の色が濃くなり、鉄材などの物資統制が行われたため、基礎工事をした段階で中止を余儀なくされました。

戦後十数年、世の中も落ち着きを取りもどし、平野も70歳代に近づいた頃、若い時からの美術館建設の夢は人生の最終段階にかかり、タイムリミットを迎えていました。しかし、県内有数の大地主であった平野でも、農地解放などもあって自力での美術館建設は不可能となっていました。その夢の実現のために、巡回展で国内各地をまわり、各界に働きかけました。当時、著名な大実業家から中央に平野コレクションのための美術館をつくりたいという話もあったと言います。しかし、平野は、自分の生まれ育った秋田の地に美術館を、という思いが強<、そのような要請は断っています。

幸いにも、県内で美術館建設の機運が盛り上がり、藤田の壁画をはじめとする平野コレクションの公開展示のため、国の補助金、県、一般の団体個人、平野個人の資金を合わせ、候補地を選択し、千秋公園入口に現在の美術館が建てられました。

昭和41年には平野はフランスに出向き、藤田嗣治に美術館建設の報告と挨拶をしています。美術館の屋根の形、丸い窓、天然光を取り入れること、壁画の高さと左右アールをつけての展示などは、藤田のアドバイスです。

建物は、秋田県名義の美術館として建設されましたが、展示収蔵品は、財団法人平野政吉美術館に平野が寄付した320点でした。内容は藤田嗣治作品、西洋絵画、秋田蘭画など日本初期洋画、明治初期洋画、中国絵画の各分野となっています。(現在、藤田嗣治作品・遺品資料など追加寄付され601点)

当初の建設計画では、美術作品展示のみの美術館でしたが、当時、各種文化美術団体の発表の場が少なかったことから美術ホール(貸ギャラリー)も加えられました。

管理運営は開館当初、建物全体と美術ホールは県が、展示室、収蔵庫は財団法人が行うことに決められました。

現在は平成18年4月より、展示収蔵作品の所蔵者である財団法人平野政吉美術館が、指定管理者として県立美術館全体も管理運営しています。








 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




平野政吉美術館、創設寄附者ごあいさつ

 創設寄附者ごあいさつ

 昭和42年5月  平野政吉 


 私は幼時から絵が好きで、少年時代に画家にならんと志望したこともあります。かたわら、我が国の航空界の黎明期に飛行機の研究に没頭し自ら操縦桿を握り又墜落したこともありましたが、美術への愛着がたち難く戦争中も蒐集を怠らず今日にいたりました。過去57年間蒐集したものは刀剣、陶器、仏画、石器、鉄器、銅器、蒔絵、浮世絵、初期洋画、泰西洋画、日本画など美術全般にわたりますが、特に世界画壇の一人者藤田嗣治氏とは永年にわたる交友で、その名作を世界に最も多く所有しました。今回これらの蒐集品の中から320点を厳選し財団に寄附しました。純粋芸術品を通じて青少年が豊かな人間に成長することを願ってやみません。


(追記)
 昭和43年文化の日を期し藤田嗣治の遺品及びピカソなど200点を寄附。昭和天皇・皇后両陛下行幸を記念し、新たに74点を寄附しました。その後の寄付を加え、現在総計601点となりました。









 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




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