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 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




平野政吉「聞き書き わがレオナルド藤田」

平野政吉「聞き書き わがレオナルド藤田」


 「私の『藤田美術館』構想は四十二年(注、昭和42年、1967年)、ついに実現した。それに先立ち、前年、報告を兼ねて、パリ郊外の藤田に会いに行った。十九年ぶりの対面だった。藤田は、君代夫人に『大将が来たよう』と叫んで、私を迎えてくれた。『藤田美術館がとうとう建つ』と言う私に、藤田は『記念に、ぼくがミケランジェロに挑戦した絵を譲ろう』と言った。

 私はうれしくて、パリの街行く人に、だれ彼となくシャンパンをふるまった。だが次の朝、藤田から電話が入った。『あの話はなかったことにしてくれ』。夫人の反対らしかった。私は納得した。その代わり『藤田美術館』の名前はやめた。

 私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが、最後の対面となった。」



(平野政吉「聞き書き わがレオナルド藤田」《1983年1月12日、朝日新聞》)








 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




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