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秋田県立美術館・平野政吉美術館開館のいきさつ

       ■■ 「秋田県立美術館・平野政吉美術館開館のいきさつ」 ■■

                                             2008.2.14
                              

財団法人平野政吉美術館のある秋田県立美術館は、藤田嗣治の壁画をはじめ平野政吉が収集した美術品を展示するために、昭和42年に建設され、公開されました。

藤田の壁画が描かれた翌年、昭和13年、平野は秋田市八橋に個人で美術館を着工しましたが、戦争の色が濃くなり、鉄材などの物資統制が行われたため、基礎工事をした段階で中止を余儀なくされました。

戦後十数年、世の中も落ち着きを取りもどし、平野も70歳代に近づいた頃、若い時からの美術館建設の夢は人生の最終段階にかかり、タイムリミットを迎えていました。しかし、県内有数の大地主であった平野でも、農地解放などもあって自力での美術館建設は不可能となっていました。その夢の実現のために、巡回展で国内各地をまわり、各界に働きかけました。当時、著名な大実業家から中央に平野コレクションのための美術館をつくりたいという話もあったと言います。しかし、平野は、自分の生まれ育った秋田の地に美術館を、という思いが強<、そのような要請は断っています。

幸いにも、県内で美術館建設の機運が盛り上がり、藤田の壁画をはじめとする平野コレクションの公開展示のため、国の補助金、県、一般の団体個人、平野個人の資金を合わせ、候補地を選択し、千秋公園入口に現在の美術館が建てられました。

昭和41年には平野はフランスに出向き、藤田嗣治に美術館建設の報告と挨拶をしています。美術館の屋根の形、丸い窓、天然光を取り入れること、壁画の高さと左右アールをつけての展示などは、藤田のアドバイスです。

建物は、秋田県名義の美術館として建設されましたが、展示収蔵品は、財団法人平野政吉美術館に平野が寄付した320点でした。内容は藤田嗣治作品、西洋絵画、秋田蘭画など日本初期洋画、明治初期洋画、中国絵画の各分野となっています。(現在、藤田嗣治作品・遺品資料など追加寄付され601点)

当初の建設計画では、美術作品展示のみの美術館でしたが、当時、各種文化美術団体の発表の場が少なかったことから美術ホール(貸ギャラリー)も加えられました。

管理運営は開館当初、建物全体と美術ホールは県が、展示室、収蔵庫は財団法人が行うことに決められました。

現在は平成18年4月より、展示収蔵作品の所蔵者である財団法人平野政吉美術館が、指定管理者として県立美術館全体も管理運営しています。








 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 秋田県は、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、今年6月末日をもって閉館しようとしています。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を閉館することは、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じることと同じです。
 二人の交友の末、藤田の助言を採り入れ完成した美術館から、「秋田の行事」、平野コレクションを移すことは、貴重な文化を消失することを意味します。
 全国の皆様、秋田県に、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館を止めるよう、訴えてください。
(2013年5月15日)




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